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神谷塾的勉強と受験と子どもの教育
札幌で学習塾を営む神谷が、日々生徒と接しながら考えたことをつづります。  おすすめの勉強法や高校・大学受験、教育全般に関する話題を書いていきます。  ★コメントには必ずお返事します★

プロフィール

神谷英樹

Author:神谷英樹
1962年、愛知県知多郡に生まれる。
1981年、愛知県立半田高校を卒業。
1983年、予定外の2年の浪人生活を終えて北海道大学に入学。
1988年、北海道大学理学部地球物理学科を卒業、地質コンサルタント会社に入社。浦和市(当時)にあった研究所に勤務。
1995年、どうしても北海道に戻りたくなってその会社を退職。札幌市内の学習塾で講師の職を得る。
2001年、独立開業。屋号を神谷塾とする。
家族は妻と大型犬1頭。息子2人は東京在住。趣味は物理と化学と野球とギターとベース。



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大停電が明けて

(2018年9月18日発行の『神谷塾だより』に掲載したものです)

倉本聰氏「文明の利器が登場する以前、我々は別に暮しの上で不便を感じることはなかった」
寺田寅彦「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する」

(いずれも『北海道新聞』9月14日付「卓上四季」より)

昔は台風が来たときなどよく停電したものだった。だが頻発する分、復旧も早かったように思う。今回のような大規模な停電は半世紀を超えるわが人生でも初めてである。当初「復旧に1週間かかる」と聞いて暗澹たる気分になったものだが、幸いにして40時間弱で電気は戻った。食料の心配はなく、水道・ガスも普通に使え、車のガソリンも満タンにしたばかりで、情報はラジオで得ることができたし(ラジオって凄いよな)、6日夜にはどこかの田舎に来たような見事な星空というおまけ付き。スマホのバッテリーは2日目の昼にダウンしたが、もともと携帯しているだけのようなものなのでダメージはなし。幸運中の幸運と言うべきか、ある人の言葉を借りれば「無傷」であった。そして、気候が良く冷房や暖房の不要な時期だったのも、有り難かったのだ。

電灯さえ点れば塾はできるのだが7日夕方の時点でまだ回復しておらず、2日間休業せざるを得なかった。2日間で済んで良かったと思うし、8日には皆普通に塾に来てくれて安心しましたよ。6日・7日の分をまだ振替していない人は、どうぞいつでも来てください。

震源の近くや東区・清田区などで被災された親類・知人のある人もいるだろう。ご家庭・職場によっては断水したりエレベータが停まったりと、大変な思いをされた方も少なからずおられよう。一日も早く穏やかな日常が戻りますように。

ところで--視野を全国に広げれば、西日本で豪雨や台風による甚大な被害があったのはつい最近のことだ。遡れば熊本地震、そして東日本大震災の復旧もまだ半ばである。その東日本大震災を仙台で経験した伊集院静氏が書いている--

「ニュースを見ていて驚いたのが、災害時の準備をほとんどの人がしていない点だった。非常用の電燈も、手動式充電のラジオも用意していない。医療機関も災害時の自家発電の準備をしていない。あわてて買物の列に並ぶ人の姿に、(思わざるを得ない。彼らの目には、)テレビによって得た情報、学んだはずの教訓は、やはりどこか他人事のように映るのだろうか」
(『週刊現代』9月22日・29日号「それがどうした」より。( )内は神谷が補足)

伊集院氏はわれわれを非難しているのではない。人間はそういう風にできているのだ、と諭す。

いつ来るとも知れない災害への備え。ゼロではなかったが十分でもなかった、という人が大半だろう。だが、今回のことで多くのことを学んだ。次は同時に豪雨に見舞われるかも知れない、真冬に来るかも知れない、と有り難くない事態を想定して、日常的にできる準備をしていきたい。対策は新聞で折々記事になっているし、ネット上にもいろいろな工夫が紹介されている。停電だけで済んだ「無傷」の者が語るのはおこがましいのだが、今回の「被災」を契機に災害対策のスキルを身につけていきたいものだ。

同時に、エネルギー全般の消費やそれに支えられた文明というものを見直す良い機会である。節電の励行や飲料水・乾電池などの備蓄はもちろんのこと、100V電源がなくともできることを増やす。たとえば小さな衣類の洗濯は手ですればいいに違いないし、これは君たちもすぐ実行できる。他にも若者だからこそ気づくことだってあるに違いない。それをご家庭で提案してあげてください。次に来る災害に間に合わせよう。



9月のことば(2015.10.3記)

この9月にいろいろな方々が各メディアに書かれた文言のうち、記憶に留めておきたい言葉を。

まず、「朝日新聞」一面の、鷲田清一氏による「折々のことば」から。

「大きな壁にぶつかったとき、大切なことはただ一つ。壁の前でちゃんとウロウロしていること」
                                 (玄田有史氏『希望のつくり方』から)
「希望は、無駄とか損とかいう計算の向こうにみつかったりするもの」だと、労働経済学者は言う。
<2015.9.9>

「ほめられなくても自分の気のすむような仕事はしたいものだ」
      (広島県のある石工、宮本常一『庶民の発見』から)
雑な仕事をすれば、次に来た職人もそれを見てつい雑な仕事をする。だから「いい仕事」をしておきたいと、石積みの職人は言う。石工のこと矜持は、施主ではなく、未来の職人たちに宛てられていた。
<2015.9.12>

「いやなお方の親切よりも、好いたお方の無理がよい」
                        (古い都々逸)
恋とは人に焦がれること。自分のことより相手のことを先に思いやること。そして自身は痛い思いをしてもなお、その人の思いを支えたいと願うこと。
<2015.9.30>

今年始まったこのコラムが毎朝楽しみ。

創刊以来の社是は「無理をしない、頭を下げない、威張らない」。
50周年は全く、想像できない。2号先のことぐらいしかわかりません。とにかく「無理をしない」でいこうと。
<「本の雑誌」編集発行人・浜本茂氏、「北海道新聞」2015.9.13>

「本の雑誌」が今年創刊40周年だとのこと、おめでとうございます。20代のころ椎名誠氏の書くものが好きで同誌もよく読んでいた。

政治家が言う「丁寧な説明」という言葉に、むしずが走るようになった。(中略)
ポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会答弁の場で言ってはおしまい。学問とか知識とか歴史に対する尊敬がなさ過ぎる。だからめちゃくちゃな日本語を使うんでしょう。
揚げ句の果てに国民の理解が進まない、と。(中略)
ここまで言葉の論理や物事の筋道を軽んじる政治を私はちょっと想像できなかった。
<高村薫氏、「北海道新聞」2015.9.19>


<虫酸が走る>という言い回しを久しぶりに目にし、それがあまりに的確な語句選択であることにちょっと感動した。そして、作家ならではの鋭い言葉選びとは対極にあるようには思うが、<つまびらかに>という語もこの一件で意識し始めたのは確かである。そう言えば、少し前にも政治家が遣う<粛々と>という語をいやになるほど意識させられたのだった。

戦後最低の投票率だった前回衆院選をへて、政府与党の思い上がりはここに極まった感がある。反対者を尊重しつつ治めるという民主主義の要所を顧みない。米国の警句「悪い政治家をワシントンへ送り出すのは、投票しない善良な市民たちだ」が胸をよぎる。
<朝日新聞「天声人語」2015.9.20>


あの連中を国会へ送ってしまったのは他でもない日本国民だ。前回の衆院選で投票に行かなかった人、「他に頼りになる政党がないから」というだけの理由で自民党に入れてしまった人、「自分の気持ちにいちばん近いから」というだけの理由で落選確実な人に入れてむざむざ死票を増やした人…と、いろんな人が後悔の念に苛まれていることだろう。前回の自民党の争点はアベノミクスだったじゃないか、騙されたんだ、というのは言い訳にならない。安倍晋三がどんな人物かはとっくの昔にわかっていたことである。


今年のクマ出没(その後)



たびたびご紹介している近所の公園。私と犬の散歩コース・兼・トレーニング場・兼・社交場として重宝しています。クマ出没のため10月4日に封鎖されましたが、28日に解除されました。秋口に封鎖になると春まで封鎖されたまま、ということもあるので、今回の3週間半というのは短いほうだと思います。それでも、「いつものコース」が使えないときの工夫--封鎖をくぐり抜けて安全そうな広場に進入したり(そこでお馴染みの人や犬とは封鎖中もよく会った)、車で別の公園に行ってみたり、町内一周で済ませたり--をしなくても良いのは楽であります。

パトロールの結果安全と判断されて封鎖は解除されましたが、クマは公園から地続きの山地のどこかにいるわけで、また公園内に現れないとも限らない。だから、相変わらず油断はならない。ただ、それは実は一年を通して変わらないのでした。公園の利用者は慣れたもので、解除になったとたん<日常>に戻っています。

公園内の木々は紅葉もそろそろ終盤。葉が落ちて見通しがよくなってきました。日差しが暖かです。

今年のクマ出没

週に3~4回,平日の朝,犬の運動と社交?のために散歩する近所の公園。この時期になるとクマが出没して立入禁止になることがよくあります。札幌市の南区では今秋すでにクマの出没がニュースになっていて,うちの近所(西区)も時間の問題かと思っていました。





赤い看板には「25年10月4日 宮丘公園内で熊の糞見つかった為立入禁止とします」と書かれています。黄色いテープはクマが出てくるのを防ぐためではなく(笑)ヒトが入るのを遮るためです。もちろん,これなら入ろうと思えば入れます。

この公園は面積約33haと西区では最も広大な,したがって散歩のしがいのある公園です。こんな場所が近所にあるのも家を建てた理由のひとつなのですが,ここが立入禁止になると犬を運動させる場所がなくなる。そのときはやむなく車で別の公園に連れて行ったりもしますが,毎日それをやる余裕はありません。

クマが出るといっても公園内では山寄りの深い森の辺りのはずで,いつも犬を遊ばせる「芝生広場」は反対側だし非常に開放的な空間なのでまさかクマは出てこないだろう。そう考えて今朝はその「芝生広場」近くの別の入口まで歩きました。案の定そこは封鎖されていませんでしたので,そっと入り,いつものように犬と過ごして,またコースを逆に辿って帰ってきました。いくつかある他の入口はすべて封鎖されているのか,我々のほかにはヒトも犬も全く見あたらず。

この公園は住宅地に隣接しているので,クマが出てきてしまう分には公園だけ立入禁止にしてもあまり意味はありません。ほとぼりが冷めるまで?は警戒しながら生活することになりそうです。


二日で三食

3月、ちょうど坐骨神経痛が治って気分が前向きになっていたころ、『週刊現代』 3 月 17 日号で南雲吉則氏「一日一食健康法」の記事を読み、おれもやってみようかな?と思ったのです。巷に溢れる健康法の類にはあまり関心がないのですが、まもなく 50 歳になる身としては、南雲氏の「 56 歳なのに 30 代に見える」若々しさはかなり刺激的です(写真を見てショックでした)。南雲氏の健康法には「一日一食」(夕食のみ)だけでなく菜食中心(魚は食べる?)とかゴボウ茶とかあれこれあるようで、とても全部を実行はできない。でも、食事回数を減らすくらいならすぐ実験できます。

私は身長 174 cm で理想体重が 67 ~ 68 kg くらいなのですが、 74 ~ 75 kg あたりで“安定”してしまっており、これといった打開策を思いつかずにズルズルと過ごしていました。ただ、犬と一緒にちょっと坂を昇っただけで息が切れるのはいかがなものかと思っていましたし、下腹のブザマな盛り上がりにもいいかげん嫌気がさしていましたので、南雲氏の記事は効きました。特に、空腹でお腹が鳴るのがイイのだ、その一時的な飢餓状態が身体を活性化するのだ、という話は面白いと思いましたし、確かに生物は本来空腹になってから餌を食べるものだった。自分も生物だったということを思い出した(笑)のです。さらに「(車を運転する人で) 10 km 走るごとにスタンドに入る人はいませんよね」という言葉には説得力がありました。

以前、仕事が終わるのが夜 10 時を確実に過ぎるせいで夕食を摂るのやめてみた時期があった(記事「夕食を摂るのをやめた」「夕食を摂るのをやめた・その後」)のですが、続きませんでした。朝と昼は食べていたせいであまり効果が見られなかったのと、意思が弱かったせいもあるでしょう。だんだん、ちょっとずつ食べるようになり、やがて夜にもしっかり一食分食べる状態に戻りました。だめだなあ。

ところが今年になったあたりから、夜は食べるのだけれどソバとかウドンとか少なくとも脂気の少ないものを少量食べるだけ--ということにしていて、それが今回は続いていました。坐骨神経痛から復活して気力がみなぎっていましたので、イケそうな予感がありました。そこで、南雲氏の記事に刺激されたその日から、食事回数を大々的に減らす実験にとりかかりました。

朝は空腹感がないことが多い。それで最初は「空腹でお腹が鳴ったら食べる」ということにしてみました。ところが、これだと夕刻に何の前ぶれもなく飢餓感が襲ってくることがあり、ひどいときは生徒を前にして教える気力を失いかけます(笑)。それでは困る。それでコンスタントに十数時間おきには食べる方法として、一日三回だった食事をひとつおきにしてみたのです。

月曜は昼食のみ。火曜は朝食と夕食。水曜は昼食のみ。木曜は朝食と夕食。金曜は昼食のみ。土曜は朝食と夕食。

…という具合です。つまり「二日で三食」とすることによって食事回数(したがって量)を半減するのです。食べる時はあまり我慢せずにある程度気が済むまで食べる。夕食も時間を気にしません。

それが、始めて1か月以上が経過した現在も続いていますし、実にテキメンに効果がありました。始めて2週間くらいで体重が(現在と同じ) 69 ~ 70 kg のあたりにまで落ちました。すぐに 5 kg 落ちたということは明らかに普段 5 kg 分食べ過ぎだったということでしょうか。 70 kg が現在の“壁”のようですが、ひとまずその壁の手前で落ち着いているのです。痩せた、といいますか「上半身が(横から見て)薄くなった」と妻に感心されましたし、ズボンも緩くなり太腿のあたりは隙間ができて落ち着かないくらい。ベルトの穴も2つ動きました。快食快便で体調も悪くない。犬と一緒に坂を昇っても息は切れない。そりゃ以前は 5 kg のウェイトをつけていたようなもので、それが外れたのですから当然でしょうか。もしかしたら走るのも速くなっているかも知れません(笑)

「一日三回食べてもヨイがすべて量を半分にする」のと、「二日で三回しか食べない代わりに食べるときは我慢しなくてヨイ」のとでは、禁欲のできない私としては絶対に後者のほうが合っています。もともと忙しい日は昼食を摂る時間が惜しいと思うこともしばしばで、「週に3日は昼食を摂らない」と決めるとまとまった時間も生まれました。ついでに食費も減って(笑)、なかなかいいことづくめなのです。

日曜は「二日で三食」はオフにして朝食・夕食を摂っていますし、ヒマであればふらっと軽い昼食を食べに出たりもし、夕食ではビールをしっかり楽しんでもいます。土曜も二食ですから一時的に「二日で四~五食」。それで一瞬 70 kg を越えているはずですが、平日はまた元に戻すことができています。土・日の延長でなしくずしに一日二食くらいには戻ってしまうかも知れませんが、とりあえず現在の方法で頑張ってみたいと思います。