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神谷塾的勉強と受験と子どもの教育
札幌で学習塾を営む神谷が、日々生徒と接しながら考えたことをつづります。  おすすめの勉強法や高校・大学受験、教育全般に関する話題を書いていきます。  ★コメントには必ずお返事します★

プロフィール

神谷英樹

Author:神谷英樹
1962年、愛知県知多郡に生まれる。
1981年、愛知県立半田高校を卒業。
1983年、予定外の2年の浪人生活を終えて北海道大学に入学。
1988年、北海道大学理学部地球物理学科を卒業、地質コンサルタント会社に入社。浦和市(当時)にあった研究所に勤務。
1995年、どうしても北海道に戻りたくなってその会社を退職。札幌市内の学習塾で講師の職を得る。
2001年、独立開業。屋号を神谷塾とする。
家族は妻と大型犬1頭。息子2人は東京在住。趣味は物理と化学と野球とギターとベース。



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天体望遠鏡で観察する月・太陽

天体望遠鏡は2枚の凸レンズを対物レンズ・接眼レンズとしています。まず対物レンズで観察対象の実像をつくり(スクリーンがなくとも像は結ばれます),さらに接眼レンズで「実像の虚像」を見る,という原理です。実像を結んだところで観察対象とは上下左右が逆になっていて,「実像の虚像」は同じ向きに拡大するだけですから,接眼レンズから見えるものは観察対象と上下左右が逆です。対物レンズ・接眼レンズといえば顕微鏡も原理は同じ。実際に使われているものはもっと複雑なのでしょうが,原理に変わりはないのだと思います。

高校入試では顕微鏡や天体望遠鏡は生物分野・地学分野の素材なので,物理分野の範疇である実像や虚像の性質については深入りしないのが普通です。見える像は実物と上下左右が逆である,という点を押さえておけば良い。ただし,この話は「凸レンズ(光)」での素材とされたり「光」と「天体」との融合問題に用いられることもないわけではなく,前者はたとえば長野2003,後者は宮崎2010で出題されています。

望遠鏡で月

上の図は天体望遠鏡で月を見ているところを模式的に描いてみたものです。実像・虚像ができるしくみを見やすくするために真横(あるいは真上)から見たところも併せて描きました。「これは」という図が見あたらないときは自分で描くしかないんですよね…。作図ソフトなどを使っていると仕事が終わりませんので,完全にアナログ絵です。線や着色が雑な点はお許しください。望遠鏡が寸足らずで無様なのは作図の都合によるものです。

月は遠くにあるので月面の一点からの光はレンズに平行に入射すると思っていいのですが,月全体には大きさがあるので,(「焦点に光が集まる」わけではなく)ちゃんと大きさのある実像ができます。だから月面の様子が見えるわけですが。実像は肉眼で見える月とは上下左右(後述するように「北南東西」と言ってもよい)が逆になっていて,それを虚像にしても逆のままです。

月とか惑星,星座を見るのであれば以上のことを了解しておけば十分だと思います。さて…

では太陽の観察をするときは?

太陽は絶対に接眼レンズで見てはいけない。次の図のように,投影板に映して観察します。

太陽の観察
(啓林館『未来へひろがるサイエンス3』p.61から拝借しました)

図中にあるように記録用紙には東西南北を記入しますが,この場合,太陽をどのように見ているのか,ピンと来るでしょうか。言い換えれば,太陽の像の下側に南,左側に西と記入するのはなぜでしょうか。

天体望遠鏡の対物レンズを太陽に向ければ下側は南だし,当然のように左側は西ですが,それは地上の話です。そうではなく,地上から見た太陽表面の東西南北がそうなっているからそう書くのです。

難しいですか?この話は,全く気にしないことにすればそれで通過できてしまいます。でも,「わけを知りたいのだけど教科書にも参考書にも説明がなくて困っている」という人もいるでしょう。この記事はそんな人のために解説を試みようとして書いています。

まず,地上から見た太陽表面の東西南北について。太陽は,それから月も南の空の一部ですので,地上から見て右側が西,左側が東になります。太陽から天頂に向けて線を延ばせば北へ向かうことになるので上側は北。その反対側は南です。

「太陽は東から西へ自転する」と表現するのもこのためです。地球の自転の向きは「西から東へ」で,太陽の自転の向きは地球と同じですが,「なぜ逆になるんだ」と悩む必要はありません(※)。

※実を言えば私(神谷)はその昔,この件ですいぶん悩みました。太陽表面に立ったつもりになれば,どうしたって「西から東」ではないかと。仮定が間違っていたわけです。

さて,今のことがわかれば理屈は見えてくると思います。次のアナログ絵を見てください。

望遠鏡で太陽

天体望遠鏡の対物レンズが結ぶ実像Ⅰは,太陽の実物とは上下左右(北南東西)が逆になっています。それを接眼レンズでもう一度,投影板の上に実像を結ばせたのが実像Ⅱ,つまり実像Ⅰの実像です。図では投影板の裏から見た(見えたとして)ところを描いています。これを望遠鏡の側から見れば,先ほどの図のように太陽の像の左側が西,右側が東となるわけです。

「実像の実像」などと言えばややこしい感じがしないでもないですが,「ちょうど太陽を鏡に映した像がそこにある」と思えば,投影板に映っているものを見て太陽の実物がよく実感できるのではないでしょうか。


太陽・月・地球



中3の理科講座は地学分野「地球と宇宙」に入っています。この単元では講座は次の6回。
    太陽・月・地球(1)
    太陽・月・地球(2)
    地球の自転と天体の日周運動
    地球の公転と天体の年周運動
    地軸の傾きと季節の変化
    太陽系
まず前回(9月21日)と今日(10月5日)の2回で「太陽・月・地球」を取り上げます。

上の流れは教科書では教育出版のものとおおむね同じです。ひとつの単元でも教科書によって流れは様々で,うちの生徒の大半が使っている啓林館の教科書は「日周運動」から入っていますが,これまでの経験から教える側も教わる側も「太陽・月・地球」から入るのがベストのように思います。まずは身近な天体で小学校でも学習していること。もうひとつは,地球の自転と方位・昼夜の移り変わりというものが,初めての生徒にはけっこう難物である場合もあるためです。

地球上の方位

上の図は東京書籍『新しい科学3年』p.159から拝借しました。北極点のあるほうが北,自転していく向きが東。自転とともに自分も移動していくので,宇宙空間の中では各々の方位が示す向きも変化し,たとえば太陽は日の出のときは東にありますが日の入りのときは西です。この話は天体を観測する上で基本中の基本なので確実に理解する必要があるのですが,生徒にとっては教師が思っているほどには易しくないらしい。授業でここをさらっと済まされてしっかり掴む機会を逸すると,天体の運動の全部がわからないことになってしまう。せっかく面白いところなのですから,苦手になってしまうのは非常にもったいない。

塾で理科を教えるようになって間もないころ,あと数日で公立高入試だという時にある生徒が上の話をわかっていないことが“発覚”,大慌てで手ほどきした記憶があります。入試の直前まで放置していたそいつもどうかと思いますが,私の経験が浅くて用心が足りなかったのもいけませんでした。そこでは一斉指導をしていましたので,生徒ひとりひとりの理解のほどを細かく把握するには無理があったのも確かですが。結局その年の公立入試ではこの件の出題はなく,彼女は全般に実力は十分でしたので無事合格。それにしても,生徒というのはその学力に拘わらず意外なことを理解し損なうものです。

そんなわけで,天体の単元の最初にまず全体の基礎を丁寧にやることにしているのです。
太陽・月・地球(1)は
   ■地球・月・太陽の比較  ■太陽  ■太陽の表面の観察  ■月
太陽・月・地球(2)は
   ■地球の自転と方位・昼夜の移り変わり  ■月の公転と見え方  ■日食と月食
という項目で展開します。

(1)では「易しい内容から」という趣旨ではあるのですが,(2)の内容の準備として
   太陽と月は地球からほぼ同じ大きさに見える
   月は地球のまわりを1回公転する間に自転も1回だけする
という点をゆっくり説明します。

実は昨年度まではコマ数の関係もあり,(1)と(2)の内容を1回(90分)でやっていました。われながらよくやっていたとは思いますが,無茶なことでもありました。特に指導要領が(したがって教科書が)現行のものになってからは日食・月食の扱いが大きくなり,いよいよ90分には治まらなくなってきた。それで今年から2回に分けることにしたのです。

講座が2回に分かれると資料も演習問題も2倍用意することになるので,前回と今回,金曜の夜は久しぶりに“デスマッチ”(終わるまで帰れない)になりました。頑張ったかいあって,前回は良い授業ができた手応えがあります。今夜もしっかりやりたいと思います。



『日本人は知らない「地震予知」の正体』

地震予知の正体

amazonで注文しておいたこの本が昨日到着。地歴講座の仕込みが済んだので少し読んでおこうと読み始めたら、ぐいぐい引き込まれて1時間半ほどで読了しました。双葉社刊、185頁、1260円。

著者のロバート=ゲラー氏はニューヨーク市の生まれ、カリフォルニア工科大学において日本屈指の地震学者・金森博雄氏のもとで地震学を修め、1984年から東大理学部で教えています。私が北大で学生をしていた時に一度来札され、氏の講演を聴いたことがありまして、来日して間もないのに日本語が達者でおられたのが印象的でした。

私は普段は下手な書評を書かないようにしていますが、amazonのカスタマー・レビューを見ていたら「これは応援しなくてはならない」と思い立ち、今日の午前いっぱいかけて書きました。書いたからといって掲載されるとは限らないのですが、幸いにしてパスしたようです。以下に同文をアップしておきます。amazonのページはここです。

「なぜ予知できないか」

 ゲラー氏は以前から地震予知の不可能を訴えてきた(たとえば『科学』2003年9月号)。それは「予知なんてできないのだから諦めよ」というマイナス思考の主張ではない。膨大な国家予算を見込みのない予知事業ではなく補強工事や防災教育に充てて、地震動や津波に備えよ、国民の生命・財産を守れ、という訴えであった。本書はその集大成と言えそうである。地震予知がなぜできないかを、達意の日本語でわかりやすく解き明かしてくれる。
 地震予知計画がスタートして以来、GPSなど技術革新はめざましく、地震の測定精度は向上し、地震のメカニズムの理解は進んだが、巨大地震はことごとく不意打ちだった。地震学者がサボっていたわけではない。「地震の前には前兆がある」と信じられているが、それらしき“異常”は発見できないからだ。できたとしても、その“異常”が地震の前兆なのか全く無関係な原因によるものなのか、地震が起きるまでわからない。前兆現象と呼ばれるものはことごとく地震「後」に報告されたもので、統計上の裏付けも再現性もない。またその“異常”では震源も発生時期も特定できない。
 さらに、最近の地震学では「無数に発生する小地震のごく一部が連鎖して大地震に展開する」と考えられているそうだ。つまり大地震も小地震も発端は同じ。大地震とか、大地震に発展する小地震に限って特定の前兆があるわけでもない。
 予知はできても地震は来る。これからしばらく日本国は無駄遣いを控えなくてはならない。限りなく困難な予知に税金を投じるよりは、いつかまた必ず起きる大地震や津波に着々と備えるべきだと思う。



“地球温暖化”に関する2冊

本の紹介です。



広瀬隆 『二酸化炭素温暖化説の崩壊』 (集英社新書、2010、222頁)
赤祖父俊一 『正しく知る地球温暖化』 (誠文堂新光社、2008、183頁)


地球が温暖化しているとか、いやむしろ寒冷化しているとか、断定的な物言いをする人がいるとしたら、それは誰かの説を鵜呑みにして受け売りをしているか、あるいは何か意図があってのことかも知れない。だからこのテーマに関する言説に出会うと警戒する、というか眉に唾する癖がついていました。

この夏、愛知に帰省して名古屋に出た折に、あまりに暑いので書店に入って涼んでいたとき、広瀬氏の新刊を見つけました。若い頃から親しんできた著者の本なので、つい手に取りました。少し読んでみると断定的なところはなく、むしろ古今の優れた本を紐解いてまっとうな知識を得よと勧めている。このテーマに関して信頼のおける書籍のガイドブックのような本です。

「私は読者に、近くの図書館に通いなさい、すぐれた本を読みなさい、すぐれた著者を探しなさい、と言いたいために、本書を書いている」(p.79)

その、すぐれた本の筆頭が赤祖父氏の著書というわけです。赤祖父氏は東北大学からアラスカ大学へ進んだ地球物理学者です。北極圏研究の第一人者で、オーロラの研究でも有名。北極海の氷が減少してホッキョクグマが絶滅の危機に瀕していると騒がれていますが、そのあたりのことを最もよく知っている人のひとりといえます。上記の本の発行元である誠文堂新光社は雑誌『子供の科学』などの版元でもある科学書の老舗です。私の感覚では、この著者にしてこの発行元であれば、その本は信頼して読める。少なくとも一読に値するであろうと思います。

その赤祖父氏の本はこれから読むので、内容については後日(たぶん)ということにしますが、さしあたり広瀬氏の本について。

①まず、地球が温暖化しているか寒冷化しているかは、わからない。

②温暖化説の根拠となっているIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のデータはイカサマも同然である。

③仮に温暖化しているとしても、その主たる原因は二酸化炭素ではない。気温の上昇は二酸化炭素が急増するずっと以前から始まっており、途中には寒冷化する時期もあった。

④地球の気象に最も大きな影響を与えるのは水蒸気であり、水蒸気を除けば二酸化炭素の影響は最大かも知れないが、それで二酸化炭素にだけ注目するのはおかしい。

⑤だから二酸化炭素に無実の罪を着せるのをやめて、環境破壊の真の原因を追究しなくてはならない。それは都市のヒートアイランド化や原子力発電所からの膨大な排熱である。

--まとめるとこんなところですが、私の知恵の至らなさで言葉足らずであるか、きちんと要約できていないと思いますので、ぜひ本書をご一読ください(私は遅読のほうですが2日で読みました)。広瀬氏の表現を借りれば、私は広瀬氏の本を読んでください、と言いたいために、この記事を書いています


冬の華

冬の華

久しぶりに教科内容の話題です。カテゴリに迷ったのですが中学理科的には「空気中の水蒸気」で地学。

いま北海道にはこの7年くらいで最強の寒波が来ているそうで、最低気温は-11~12℃になるし、最高気温が-8℃くらい。今日はやや穏やかで-6℃になるとの予報です。道外の方には意外かも知れませんが、現代の札幌では最低気温でも-10℃を下回ることは珍しいです。

仕事場のあるビルの廊下の日の当たらない窓に、氷の結晶がびっしり貼り付いています。その昔、中谷宇吉郎が「冬の華」と呼んだもので、空気中の水蒸気が窓ガラス周辺で凍ったもの。うまくご覧いただけるでしょうか。本当はにじり寄って見るととても綺麗なのですが、携帯のカメラではこのくらいが限界。

二重の窓ガラスの、ガラスとガラスの間の空間にあった水蒸気が、外側のガラスの内側(ややこしい?)に凍って付着しています。気体が液体の状態を経ずに固体になることを「昇華」といいますね(固体→気体も昇華といいます)。こういうのを見ると「昇華」という言葉が非常に的を射て、しかも粋な表現であるように思えます。

昔は関東あたりでも見られたようですし、本当に寒い時には私の故郷の愛知でも見られるのかも知れませんが、私は愛知とか東京でこれを見た記憶はありません。毎日こういうのを目にする生活というのもなかなか愉快なものであります。