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神谷塾的勉強と受験と子どもの教育
札幌で学習塾を営む神谷が、日々生徒と接しながら考えたことをつづります。  おすすめの勉強法や高校・大学受験、教育全般に関する話題を書いていきます。  ★コメントには必ずお返事します★

プロフィール

神谷英樹

Author:神谷英樹
1962年、愛知県知多郡に生まれる。
1981年、愛知県立半田高校を卒業。
1983年、予定外の2年の浪人生活を終えて北海道大学に入学。
1988年、北海道大学理学部地球物理学科を卒業、地質コンサルタント会社に入社。浦和市(当時)にあった研究所に勤務。
1995年、どうしても北海道に戻りたくなってその会社を退職。札幌市内の学習塾で講師の職を得る。
2001年、独立開業。屋号を神谷塾とする。
家族は妻と大型犬1頭。息子2人は東京在住。趣味は物理と化学と野球とギターとベース。



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法隆寺・東大寺

GWに愛知の実家に帰省した折、次男を連れて日帰りで奈良まで行って来ました。

いちばん行きたかったのは法隆寺。あとは東大寺とできればもう一軒ハシゴできればと思っていましたが、法隆寺は斑鳩の里にあり奈良市内から離れていますから、行くならそれだけで2~3時間は要します。それでも法隆寺を外すことはできない。それでまずは法隆寺へ行ったあと奈良市内まで移動して、東大寺だけ見て帰って来ました。それでもスケジュールがタイトで、東大寺では人出が多かったせいもありますが落ち着いて見れなかったのがやや残念。法隆寺も東大寺も、できるならそれぞれ丸一日そこにいてもいいくらいです。

お寺そのものもさることながら、安置されている仏像など拝めたのが非常にありがたかった。私が小6のときの修学旅行が奈良・京都1泊2日で、奈良では法隆寺・東大寺・興福寺・春日大社と見て回ったはずですが、当時は全くありがたみを感じなかったのでしょう。せっかく行ったはずなのに記憶がほとんどありません。奈良はやはり大人になってから行くべきでしょうね。

【法隆寺】中門
柱の数が奇数で中央にも柱があり、人を「通せんぼ」しているようだ--というので、梅原猛氏が著書『隠された十字架』で「聖徳太子の怨霊を封じ込めている」との推理を巡らせた門。現在はここを通ることはできなくなっていて、向かって左手の入口で入場料を払って入ります。

【法隆寺】金堂(手前)と五重塔(奥)
世界最古の木造建築。金堂では釈迦三尊像・薬師如来坐像・四天王立像が置かれ、五重塔では初層の東西南北にそれぞれ「文殊菩薩と維摩居士の問答」「舎利の分割」「弥勒菩薩の説法」「釈迦の入滅」を表す塑像が置かれています。

【法隆寺】夢殿
建立は奈良時代(天平文化のところで学びますね)。聖徳太子の等身像と伝わる救世観音像にお目にかかれました。明治時代にフェノロサと岡倉天心が入るまで夢殿は「開かずの間」で、救世観音像はそこに白布でグルグル巻きにして棺に納められていたというものです。

【東大寺】南大門
東大寺は門にしても仏像にしてもいちいちでかい。南大門には有名な運慶・快慶作の金剛力士像がちゃんとありますが、金網ごしなので史料の写真で見るほどには鮮明に見えず、しかもでか過ぎて全貌がつかめない。

【東大寺】金堂(大仏殿)
広々とした平原に存在感のありすぎる、世界最大級の木造建築。創建当時は左右の幅が現在のさらに1.5倍あった(再建時に財政上の問題で縮めたそうです)というから驚きます。

【東大寺】廬舎那仏(大仏)
聖武天皇の依頼に行基が応じて造立に協力したということでしたね。

なお、東大寺は奈良公園とつながっていて、公園の鹿たちが境内を闊歩しています。



雪の金閣・銀閣・清水寺

1月2日に愛知の実家から日帰りで京都に行って来ました。

SN3F0124.jpg【鹿苑寺】金閣
テキトーに撮った写真ですが、このきらびやかさ!私は小6のときの修学旅行で一度見ていますがその時は金箔がハゲハゲでした。1987年の補修で漆や金箔の張り替えをしたとのことです。
金閣は鹿苑寺の舎利殿(釈迦の骨を祀る所)。足利義満が造営した当時は「北山殿」という山荘。義満の死後、義満の法号(鹿苑院)にちなみ、金閣を中心とした建築・庭園が鹿苑寺と命名されました。
1階は寝殿造、2階は武家造、3階は中国風の禅宗仏殿造。なお、中は見せてもらえません。前の池は「鏡湖池」(きょうこち)といいます。

SN3F0127.jpg【慈照寺】銀閣
慈照寺の観音殿。応仁の乱後、足利義政が造営した当時は「東山殿」という山荘。義政の死後、義政の法号(慈照院)にちなみ、銀閣を中心とした建築・庭園が慈照寺と命名されました。
1階は書院造、2階が中国風の仏殿造。特徴のある窓は「花頭窓」(かとうまど)といいます。

SN3F0125.jpg【慈照寺】東求堂
もとは義政の持仏堂。1層の入母屋造で、北面東側の四畳半は「同仁斎」と呼ばれ、現存する最古の書院造。教科書などでよく見かける書院造の写真はここのもので、銀閣の1階ではありません。銀閣も東求堂も中は見せてもらえません。

SN3F0132.jpg【清水寺】舞台
写真などでよく見かけるアングル。
境内は「清水山」の中腹にあり、「舞台」は本堂の半分が山の斜面にせり出している部分です。
清水寺は坂上田村麻呂が自宅を本堂として提供し、僧・延鎮と協力して改築したとのことです。

SN3F0136.jpg【清水寺】舞台
下から見上げたところ。139本?の柱に支えられています。釘は使われていないらしい。このような構造を懸造といって、奈良の長谷寺も同じ様式だとのこと。

SN3F0137.jpg【清水寺】アテルイとモレの慰霊碑
1994年建立とのこと。
坂上田村麻呂が征夷大将軍として東北の平定に赴いたのち、京都へ連れてきた指導者2人。田村麻呂は2人の助命を嘆願しましたが処刑されてしまった。



空海マンダラ

kukai02.jpg

きょう、北海道立近代美術館で見てきました。「 空海マンダラ 弘法大師と高野山 」

妻とふたり、クルマでひと走り。平日の日中にこういうのを見に出かけられるのが、この仕事のいいところです。シブ目の展示だという印象があり、空いているだろうと思って行ったら、それが大間違い。年配の方々を中心にほどよく満員でした。

達筆で有名な空海=弘法の書が一点あったほか、工芸や彫刻、曼荼羅の図など、国宝や重要文化財になっているありがたい宝物がいっぱい。不動明王とか大日如来とか四天王とか、名前だけは馴染みがある方々の彫刻や絵画がずらりと並んでいて壮観。高野山のお坊さんたちだって滅多に見られないであろうお宝です。

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